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元住人です。私の住んでいたところも写ってました。「玉ノ井カフェー」は元洋品屋さんなので昔のアレな建物ではありませんです。赤丸ポストは私の記憶では店の改装をしたときにオブジェとして置いたものだったと思います。郵政省のポストは以前は交番の横にあったのですが民家の改装時に撤去されいろは通りにはもうないんじゃないかな。私が小学生だった数十年前なら確かに昭和初期に作られたと思しきタイル張りのRのついた壁の建物はありましたが(場所も覚えています)殆どなくなってしまったというのが実情です。でもいくつかおっ!ってところはあったかも。ところですっかりシャッター街ですねぇ。幾つか昔からの店もあるのでそういうところで世代の古いお方が健在ならば話が聞けるかもしれません。あんまり話たがらない人もいます。それは仕方ない。
コメントありがとうございました。参考にさせていただいてまた訪問したいと思いました!素敵な迷宮ですね
私91歳地下商店街大好きで昔からよく行きビデオも買いました。玉の井懐しいですね。学生の時行った経験があります永井荷風先生の大フアンです。赤線の経験がある人は85歳以上ではないですか。鳩の町の方が昔の雰囲気残ってると思います。映画、渡り鳥いつ帰る、は鳩の街が舞台ですね。名解説ありがとうございました。
大先輩。ご覧いただきありがとうございました。鳩も街も先日歩いてきました。ここ数年で一気に古い建物が無くなっているようで、懐かしい建築は数えるほどに減っていました。
昭和45年、東陽町に移り住みました。都電・木場水路も普通の景色でした。土曜日は歩いて洲崎、赤線時代の建物がいっぱい残ってました。洲崎娼婦は錦糸町花壇街の屋台、吾妻橋職安前の旅館街に移ってました。最後の娼婦?(80歳弱)新小岩の路地裏でワンカップ1本で身体を売ってました。
コメントありがとうございました。大変興味深いお話です!私もいろいろ調べてみようと思いました。
荷風の「濹東綺譚」のお雪さんの住む通りは、人ひとりがやっと通れるほどの幅しかなく、そこがぬかるんで蚊柱がいくつも立っているという、恐るべき場所でした。荷風先生はそこで留守番をしたりして、嬉しかったんだろうなと思います。昔は小梅あたりにも「カフェー」らしき建物があって、わたしも見物に行ったことがあります。
ご覧いただきコメントまでありがとうございました。とても勉強になりました。当時を調べてまた散歩したいと思いました。
厳密に言うと玉ノ井は私娼窟なので赤線ではありませんが、今となっては総称で赤線と呼びますね。墨東綺譚の精細な街の描写を読めば誰でも玉ノ井に行き、小説の舞台を確かめたくなります。小説の時代設定から空襲を挟み90年近くが経過してさすがに小説の世界の面影はないのですが、昭和の面影は溢れています。私は東向島から曳舟にかけて散歩するのが好みでした。曳舟あたりも戦前かどうかは分かりませんが、古き良き昭和の雰囲気にあふれています。
メッセージありがとうございました。この日の探訪を機に下街を何度か探訪しました。京島界隈もとても興味深いですね。
地元出身の者ですが、鐘ヶ淵側線路沿いを歩いて、いろは通りの裏側にあります。
ありがとうございます。あの辺りが地元とは風情があって素敵ですね。その後再び行ってきまして何件か見つけることが出来ましたので、お時間ありましたらこちらもぜひご覧になってくださいね。ruclips.net/video/a6KTN1iUwYg/видео.html
あそこの地下街は、お酢のようなくさい臭いがしますよね、とくに事務所のある行き止まりの周辺が。
コメントありがとうございます。この時はコロナ禍でほとんどの店が閉まっていて匂わなかったのですが、、先日行ったらいろいろな匂いが入り混じっていました。それも含めて懐かしい匂いと解釈しています♪
800円!✂️💈
大田区の矢口渡駅近くには680円というのがありました。
カフエ〜???そんな、言葉?????使って無いゲド???全く使って🈚️い、言葉??????????
マジですか?ありがとうございました
どう見ても?楽しめる??場所??では?無いよ???
元住人です。私の住んでいたところも写ってました。
「玉ノ井カフェー」は元洋品屋さんなので昔のアレな建物ではありませんです。
赤丸ポストは私の記憶では店の改装をしたときにオブジェとして置いたものだったと思います。
郵政省のポストは以前は交番の横にあったのですが民家の改装時に撤去されいろは通りにはもうないんじゃないかな。
私が小学生だった数十年前なら確かに昭和初期に作られたと思しきタイル張りのRのついた壁の建物はありましたが(場所も覚えています)殆どなくなってしまったというのが実情です。
でもいくつかおっ!ってところはあったかも。
ところですっかりシャッター街ですねぇ。幾つか昔からの店もあるのでそういうところで世代の古いお方が健在ならば話が聞けるかもしれません。あんまり話たがらない人もいます。それは仕方ない。
コメントありがとうございました。参考にさせていただいてまた訪問したいと思いました!素敵な迷宮ですね
私91歳地下商店街大好きで昔からよく行きビデオも買いました。玉の井懐しいですね。
学生の時行った経験があります永井荷風先生の大フアンです。赤線の経験がある人は85歳
以上ではないですか。鳩の町の方が昔の雰囲気残ってると思います。
映画、渡り鳥いつ帰る、は鳩の街が舞台ですね。
名解説ありがとうございました。
大先輩。ご覧いただきありがとうございました。鳩も街も先日歩いてきました。ここ数年で一気に古い建物が無くなっているようで、懐かしい建築は数えるほどに減っていました。
昭和45年、東陽町に移り住みました。都電・木場水路も普通の景色でした。
土曜日は歩いて洲崎、赤線時代の建物がいっぱい残ってました。
洲崎娼婦は錦糸町花壇街の屋台、吾妻橋職安前の旅館街に移ってました。
最後の娼婦?(80歳弱)新小岩の路地裏でワンカップ1本で身体を売ってました。
コメントありがとうございました。大変興味深いお話です!私もいろいろ調べてみようと思いました。
荷風の「濹東綺譚」のお雪さんの住む通りは、人ひとりがやっと通れるほどの幅しかなく、そこがぬかるんで蚊柱がいくつも立っているという、恐るべき場所でした。荷風先生はそこで留守番をしたりして、嬉しかったんだろうなと思います。昔は小梅あたりにも「カフェー」らしき建物があって、わたしも見物に行ったことがあります。
ご覧いただきコメントまでありがとうございました。とても勉強になりました。当時を調べてまた散歩したいと思いました。
厳密に言うと玉ノ井は私娼窟なので赤線ではありませんが、今となっては総称で赤線と呼びますね。墨東綺譚の精細な街の描写を読めば誰でも玉ノ井に行き、小説の舞台を確かめたくなります。小説の時代設定から空襲を挟み90年近くが経過してさすがに小説の世界の面影はないのですが、昭和の面影は溢れています。私は東向島から曳舟にかけて散歩するのが好みでした。曳舟あたりも戦前かどうかは分かりませんが、古き良き昭和の雰囲気にあふれています。
メッセージありがとうございました。この日の探訪を機に下街を何度か探訪しました。
京島界隈もとても興味深いですね。
地元出身の者ですが、鐘ヶ淵側線路沿いを歩いて、いろは通りの裏側にあります。
ありがとうございます。あの辺りが地元とは風情があって素敵ですね。その後再び行ってきまして何件か見つけることが出来ましたので、お時間ありましたらこちらもぜひご覧になってくださいね。ruclips.net/video/a6KTN1iUwYg/видео.html
あそこの地下街は、お酢のようなくさい臭いがしますよね、とくに事務所のある行き止まりの周辺が。
コメントありがとうございます。この時はコロナ禍でほとんどの店が閉まっていて匂わなかったのですが、、先日行ったらいろいろな匂いが入り混じっていました。
それも含めて懐かしい匂いと解釈しています♪
800円!✂️💈
大田区の矢口渡駅近くには680円というのがありました。
カフエ〜???そんな、言葉?????使って無いゲド???全く使って🈚️い、言葉??????????
マジですか?ありがとうございました
どう見ても?楽しめる??場所??では?無いよ???